Itoshi Iro

2021/03/07 16:55

石徹白はもともと霊峰白山に赴く修験者を迎えるために設けられた神道の村。古くは縄文より住われていたとされるが、村の人たちは白山中居神社を中心にあまねく神道に属し、そのお役目を果たすため居を構えていました。

岐阜県と福井県の県境に位置し、東海圏でも有数の豪雪地帯。厳しい気候はごく限られた作物しか栽培出来ず、専ら耐寒性の強い雑穀類、アワやキビ、ヒエや蕎麦などを主食としていた他、狩猟採集も暮らしに欠かせない生命線だったとされます。

その中でも石徹白固有の在来種「石徹白びえ」の歴史は古く、江戸時代の文献にも登場している事が確認されています。


集落の平均年齢が65歳を越える中、若い移住者らが石徹白の暮らしや智慧を紡いでいきたいと不定期で開催される「聞き書き会」。

石徹白のおばあやおじいから、子供の頃、神社のこと、祭りの事など様々なお話を聞く中で、「ひえぬか粥」という郷土料理の存在を知ることとなりました。

水とヒエでお粥を作り、アツアツの状態で茶碗に移した後、すかさず蕎麦粉を振りかけて箸で練り混ぜる。熱で粘り気を帯びた蕎麦粉の食感とヒエの持つ独特の香ばしく甘い香りが堪らない、と。

贅沢なものが溢れていた時代では決してないはずですが、「ひえぬか粥」は大層美味しかったと幼少の頃を思い出しながら話すおじいやおばあ。

『食べてみたい・・・!!』

全てはそこから始まりました。

しかし、そんな思い出話に花を咲かすおじいやおばあも最後に食べたのは小学生くらいの頃だったと、80歳の傘寿を越えるのだから…今から70年近くの空白の時がありました。

『いやあ、もう種は無いよな。』

そんな諦めの気持ちの中で聞き書きは終了しました。